トースターそのものにパンダの絵がたくさん描かれています
今回も引き続き夏休み中のネタです。タイトルにちなんで、扉絵はあさりがトースターから飛び出している絵です。子供が産まれてから朝食にトーストを食べることが増えたので、実家のトースターを送ってもらいました(いつも魚焼きグリルで焼いていた)。焼き上がるとパンダの顔が食パンの真ん中に浮かび上がるようになっているんですが、古くなったせいなのか私の食パンのセッティングの仕方が悪いのか、ただの歪んだ楕円形にしか見えなくなってます。それをいつも「パンダ」と喜ぶ息子が健気に思えてなりません。
コピーライティングの難しさよ
あさりは去年の日焼け大会では一位でした。しかし今年の夏は全く日焼けしておらず、「今年は真っ白のままだ」「学校でバカにされる」と喚きます。あさりがあまりにもうるさいので、浜野家全員で海に行きます。曇っていて今にも雨が振り出しそうな空で全く太陽の光は見えません。あさりはパパの休みの関係でこんな日にしか来れなかった事に文句を言いつつ
いいもんいいもん、トースト娘になれればいいんだもん。
と、砂浜で寝そべります。
これを読んだ時「日焼けする事をトースト娘って言う時代があったのか?」と思い調べたところ、1980年の全日空の沖縄キャンペーンの広告で「トースト娘ができあがる。」というコピーがあったそうです(モデルさんはこんがりと日焼けしたビキニ姿の美しい女性)。あさりが当たり前のように口にしてるという事は当時流行ったコピーなんでしょう。室山先生もこのコピーをもとに話を考えたんでしょうか。
にしても、このコピーは賞を受賞したらしいんですが、日焼けをトーストに例えるとはやはり非凡な方は違いますね。凡人である私は、日焼けから何か食べ物を連想しても「焼き魚」とかしか浮かびません。トーストのような香ばしい匂いがするものとは程遠いです。
大人の事情があるらしい
タタミがあさりに、そんなに肌を焼きたいなら協力する、と言います。その流れであさり以外の三人が人食い人種になります。この描写、今の時代はアウトでは?と思っていたんですが、こちらのブログによるとやはりカットされて別の絵に差し替えられてるらしいです。差し替え後の絵が具体的にどうなっているかはわからないんですが、このシーンを利用してあさりとタタミの悪ノリを治めてるので、どんな風に変えたのか気になるところです。話を最初から読む限りここは読者に一番笑ってもらいたいところだったんじゃないのかな、とも思うので差し替えは古い漫画にはよくある事とは言え、少し残念です。ていうかママとパパが一緒になってアホな事してるのってこれが初めてじゃないでしょうか。
家以外でのお仕置き(?)シーンが初登場
最後のシーンであさりは学校でバケツを両手に持たされ、頭に「スカタン帽」を被らされ廊下に立たされる、というこの漫画でお決まりの絵が出るわけですが、これが初になります。「廊下に立たせる」「バケツを持たせる」という罰は別の漫画でも見た事はありますし、古くは実際にやらせる学校の先生もいたようです。ですが「スカタン帽」はこの漫画以外で見た事がありません。室山先生が独自に考えたのかと思ったんですが、その昔アメリカでは出来の悪い生徒に「dunce cap」と呼ばれる三角帽子を被せる罰があったそうです。なのでこのスカタン帽もそこから来たのかなと推測します。帽子に書いてある文字が「スカタン」がなのが言葉のチョイスにセンスを感じます。にしてもこの罰は何気に精神的には一番堪えそうそうな気がするんですがどうでしょうか。
時代背景が盛り込まれてる回
ここ数年で小児科医も子供に日焼け止めを塗る事を推奨するようになりましたし、現代は日焼けが良しとされてないように思います。この話が描かれた時は、夏=肌を焼こう!という風潮だったんでしょう。
私も小さい頃はお構いなしに日焼けしてて、子供用の日焼け止めなんて塗ってませんでした。それが全ての原因というわけではないでしょうが、アラフォーになった今の肌はシミやらソバカスやらのトラブルだらけで、まあひどいもんです(ただの嘆き)。
日焼けだけでなく、前述したように当時流行したと思われるコピーや、先生からの罰、ついでに言うと今ではアウトなギャグが出て来たりと短い話の中に「時代が違う」という事が伝わる描写が随所に描かれてます。大人になってから読むとこういった楽しみ方も出来るのね、と思いました。サザエさん時空でもこういった時代背景をうまく取り入れてるところも魅力の一つだと思います。
差し替え後のバージョンしか知らない人には、差し替え前の方も読んでもらえたらと思うんですが古い方を読むのは今は難しいかもしれないですね。古本屋なんかで見つけたら是非(購入するか立ち読みで済ませるかはお任せします)。
あさりちゃん(第1巻) (てんとう虫コミックス) [ 室山まゆみ ]
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