390話 あさりちゃんの悪魔の森 ②

24巻

「アテナイの学堂」が表紙になってるやつ

前回からの続きです。ここから後半に入ります。389話では日本史がテーマになっていましたが、今回は言うなれば倫理かな?と感じる展開になります。高校時代の倫理の教科書が頭に浮かびましたが、結局最後までは読まなかった気がします。

あさり→背中の上でジャンプしながら髪の毛を引っ張る、タタミ→股間を蹴り続ける

あさり達が泊まった別荘はまるでお城のような大きな建物でした。その晩、色々と不可解な事が起きながらも、四人は眠りにつきます。しかし翌朝目が覚めると、この別荘には恐ろしい化け物が住んでいる事がわかります。あさりに金のなる木をくれた男性はその化け物の手下だったのです。人間の「欲」をエサにして生きてるというその化け物は、あさり達から欲を吸い取ろうとします。欲を吸われた人間はそのまま死んでしまいます。あさり達は化け物に必死に抵抗します。

あさりとタタミは罠だったとわかった途端、金のなる木をくれた男性を二人で罵声を浴びせながら袋叩きにします。あさりとタタミはどちらも喧嘩が強いわけですが、普段こんな感じで男の子も泣かしてるわけね‥という一コマが見られます。

私が頭を下げたところでどうこうという話ではないのだが

これまでの長編の中で一番哲学的な回でした。
何せテーマが「人間と欲」ですから。

化け物とあさり達が対峙するシーンは単純にギャグ漫画として楽しむ事ができる一方、「欲というものをどう捉え、人間としてどうやって生きていたいか」と問いかけが感じられます。
で、作中であさりとタタミのその問いに対する答えが出てるとも言えるやり取りがあるんですが、二人とも「欲望のままに生きる人間」なようで。非常に難解な問いかけにも関わらず、二人とも割とあっさり答えが出てます。この葛藤のなさはもはや清々しささえ感じます。

あさり達の欲が深く、いつも目先の欲望に振り回された結果ロクな事にならないことは読者からすると「何を今更」。しかしそこをあえてクローズアップし、金のなる木や化け物というファンタジー要素を詰めこんだ結果、新たな傑作の誕生です。
なんかもう色々とありがとうございます、と室山先生に深々と頭を下げたくなりました。

布教活動を一層がんばろうとも思った出来事でした

こういう教養ある感がひしひしと伝わる作品を読むと、あさりちゃん=アニメのイメージしかない、という人にも読んでもらいたくなります。

というのは、少し前に同世代の男性とあさりちゃんについて話す機会があったんですが「昔アニメで見てた事がある。でもなんかかわいそうになってくるんだよね。オープニングの曲とか聴いてても。いつもいじめられてるでしょ?」という返事が返ってきたのです。SNSで「あさりちゃん」というキーワードで検索すると、アニメの事に言及してる方は多く見られます。そしてその男性のような感想を持ってる人も多いように見受けられました。

アニメそのもののクオリティが低いとは思いませんが、イメージがそこで止まってるのが何だかファンとしては勿体無く感じる事があります。
というわけで該当する方は今からでも遅くないです。単行本を読んで欲しいです(誰目線?)。

次回から25巻に入ります。


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